INSIGHTS
2026/03/03
里山で暮らし働く日々がもたらした、クリエイティブの深度と純度。【前篇】
対談記事

昔ながらの棚田の風景が残る大阪近郊の里山に移住し、撮影×デザインワークを行っているノエフォトビジュアルズの直江竜也さんご夫妻。自然とテクノロジーの振り幅を行き来しながら、これからの暮らし方と働き方を模索する中で見えてきたものとは。前篇は、直江さんのこれまでのキャリアと、移住に至る経緯を中心にお話を伺いました。
◼︎後篇はこちら

直江竜也様
株式会社ノエフォトビジュアルズ 代表
1976年大阪生まれ。ニューヨーク市立シティカレッジ写真学科卒業後、帰国。2007年よりフリーランスカメラマンとして商業写真に取り組みながら、個人作品の制作も続ける。2022年に大阪府近郊の茨木市内にある里山に移住。グラフィックデザイナーの妻と二人三脚で、写真のみならず動画、ウェブデザイン、グラフィックデザインまで包括したトータルなクリエイティブをワンストップで提供している。

橋本祐介
エンビジョンブランディングディレクター
ブランドコンセプトの策定、CI・ステートメント開発、コピーライティングを基軸とする言葉のスペシャリスト。クライアントの深層に潜む想いを引き出すコミュニケーションを重要視し、企業やプロダクトの特長や「らしさ」をビジュアル・コピーの相乗効果で魅力的に表現することを得意にしている。

納 花乃香
エンビジョン コミュニケーションデザイナー
「人の心を動かすクリエイティブをつくりたい」との思いを胸に、envision初の新卒採用で入社。アウトプットのかたちを問わず「目的達成のためにはどんなコミュニケーションを取るのが最適なのか」を設計し、クリエイティブにつなげることが得意。筋の通った「良い理由」を世の中にひとつでも多く増やし、世界をちょっとずつ良く変えていくことを自身のミッションとしている。
Contents
田舎暮らしを選んだ、カメラマン+デザイナー夫婦の共同事業。
橋本
直江さんとは10年以上も一緒にお仕事をさせていただいていますが 、移住後のお住いにうかがうのは初めてですよね。考えてみたら、直江さんがどんな道のりを辿って来られたのか、意外と僕自身も知らないことが多いので、今日はゆっくりお話を聞きたいと思って、楽しみにしていました。ここに移住されたのが2022年の夏ですよね。
直江氏
はい。引越ししたのと同時に法人化もしました。もともとサバイブする感覚が好きで、田舎暮らしへの憧れはあったんです。フリーのカメラマンで都会の高いマンションを買うなんて割に合わないし、自分で古民家を手入れしながら暮らす方がいいな、と。コロナ禍後の社会を見ていて、資本主義や民主主義のあり方にどこか雲行きの怪しさを感じたのも、自給自足のような暮らしに惹かれた理由だったかもしれません。
橋本
社会システムと少し距離を置いて、ってことですね。直江さんのところは奥様がデザイナーで、ご夫婦二人体制で制作案件を受けておられますが、最近はどんな仕事を?
直江氏
最近関わらせていただいた案件で面白かったのが、沖縄・那覇に新しくオープンしたモダンラグジュアリーホテル「ザ ロイヤルパークホテル アイコニック 那覇」の客室内に置かれるコンセプトブック制作です。琉球文化がテーマで、沖縄の作家が内装を手がけたりもしている関係で、コンセプトブックもその世界観に合わせたものを、というご依頼でした。沖縄に何回か通って、珊瑚礁や首里城遺跡のほかに、焼きものや芭蕉布、藍染めといった伝統工芸品がつくられる場面を撮ってきましたが、これがとても印象深かったんですよね。

橋本
すごくおもしろそうなプロジェクトですね! それはどういう経緯でご依頼があったんですか?
直江氏
うちの奥さんのデザイン専門学校時代の友だちが、そのホテルの内装を手がける会社に勤めてるんですけど、彼女が以前、ここに遊びに来てくれたことがあったんです。もともとインスタグラムに載せている写真はチェックしてくれていたそうですが、わが家の廊下に飾ってある僕の写真を見て、インスピレーションが働いたんだそうです。あとはこの里山で、自然に近いライフスタイルを送っていることも抜擢理由になったのかなと思います。
橋本
いわば直江さんが残してきた写真たちが最強の「営業ツール」になったわけですね。それがきっかけで新たなご縁が生まれたなんて素敵な話じゃないですか。
アメリカ帰りの「写真好きフリーター」が、プロカメラマンになるまで。
橋本
そもそも直江さんが写真に目覚めたきっかけとか、写真を仕事にしようと思った理由について伺いたいんですが……。
直江氏
高校時代は大学受験をするほどの勉強もしていなくて、卒業後は特に目的もないまま、アイオワ州立インディアンヒルズコミュニティ・カレッジのELSコース(外国人学生向けの大学課程進学準備コース)に入りました。僕、そこである先輩からカメラをもらったんです。彼は、学生をしながらフォトジャーナリストをめざしている人でした。今にして思えば、その頃から僕は写真に惹かれていたんでしょうね。

直江氏
アイオワでの課程を2年で終えてから、専門分野を選ぶわけですが、僕は当時、映画が面白そうと思って、ニューヨーク市立シティカレッジの映画学科に入ることにしました。でもニューヨークに来てみたら、映画と言いながら、ずっと写真ばっかり撮ってる自分がいたんですよね。結局、制作課題で2本目の映画を撮ってる時に、「自分は集団生活に向いてない」と思い知らされて(笑)。自分一人で動き回って絵づくりできる写真が好きなんだと改めて気づいて、「だったら24時間好きなことをやろう」って、写真学科に転籍しました。
橋本
影響を受けたアーティストとかがいたんですか?

直江氏
僕、そもそも昔から幾何学フェチで、道を歩いている時にタイルをグリッドに見立てたり、四角いテーブルの上に脳内で対角線を引いてしまう癖があるんです。その頃、憧れていた写真家がカルティエ・ブレッソンなんですけど、彼もずっと写真と幾何学の関係性を追求していたんですよね。それを知った時はものすごく親近感を感じましたし、僕も写真になら自分のフェティシズムを詰め込める、と思いました。
橋本
そうやって「写真で生きていく」方向が定まったわけですね。そこから生活を成り立たせられるようになったのは……?
直江氏
25~26歳で帰国したんですが、就職は考えてなくて、写真で作家活動をしたいと思っていました。それで自費出版で制作した小冊子をポートフォリオ代わりに持って、東京の雑誌に売り込みをかけたんです。まあ箸にも棒にもかからない感じでしたが、中には1時間ぐらい時間を割いて、僕の話をちゃんと聞いてくれた方もいたんですよね。あれは今もよく覚えています。結局、ネットカフェでアルバイトしながらフィルムで作品を撮り、時々個展を開く生活を送っていました。
橋本
いわば「写真好きのフリーター」生活だったと。
直江氏
そんな感じでしたね。28〜29歳の頃は、河川敷のブルーシートで暮らす未来も想像しましたよ。結局、30歳目前でブライダルカメラマンのアルバイトを始め、ようやく写真でお金を稼げるようになりました。ブライダル業界には1年しかいませんでしたが、被写体とのコミュニケーションの大切さはあの時代に学んだと思います。心を開いて笑顔になってもらい、その瞬間を逃さないようにしないといけないですからね。
橋本
直江さんとお仕事をご一緒する中で、そこは僕も大いに助けられた部分です。採用パンフレットやコーポレートサイト制作などの仕事で、撮影慣れしていない一般の方からもいい表情を引き出してくれていましたよね。

直江氏
そのうち自分の写真にもいい評価がもらえるようになってきて、貯金もないのに計画性ゼロで独立しました。そこからまたポートフォリオ作って営業に回って、フリーでタウン誌やブライダルの仕事をこなしながらギリギリの生活を送っていましたね。
自分の偏愛を臆さず表現したことが、道を開いた。
橋本
独立されてから、少しずつ制作会社との出会いが増えていったわけですよね。仕事関係者の信頼を得るために心がけていたことはありますか?
直江氏
多少無謀でも、「こいつ面白い」と思ってもらえるようなクセ強めの作品をプレゼンしていました。そういうところを気に入ってくれたお客さんが今も仕事でつながっているので、若い人にも自分の譲れないところや「偏愛」を表現してほしいですね。
納
自分の「好き」を前面に出して、臆さず飛び込んで来られたということだと思うんですが、怖さを感じたり、心が折れそうになることはなかったですか?
直江氏
作品に対して、「よくわからない」と否定されることも多かったですよ。でも自分では絶対いいと思っていたんでしょうね。身の丈を知るのもいいですが、そういう感覚って若い頃にしか持てないものかもしれないので大事にしてほしいです。商業でやってる写真で評価されるのももちろん嬉しいですが、超個人的なものを持ち続けることも大事だと思うんです。だから僕はいまだにフィルムで作品を撮るし、現像も自分でやります。自分が見たかったものが印画紙に現れる瞬間が一番幸せだし、それを見ながらお酒を飲んでるだけでひと晩楽しめるんですよ。そういう時間に救われてきたと思っています。

橋本
誰かに頼まれたものではない、本当に自分がやりたいことをやるってことですよね。そうやって商業と作家活動の両方を追求してきた直江さんが、こうやって環境を変え、法人化もされて、今の働き方に辿り着いたのはどういう経緯からだったんですか?
直江氏
結婚したのが44歳の時で、そこから二人で組んでやる仕事が少しずつ増えたんです。今は撮影からグラフィックデザイン、ウェブデザイン、動画制作まで可能ですし、カメラマンの意思が制作に反映できるようになったことが何よりうれしいです。ノエフォトビジュアルズという名前は20代の頃から名乗っていましたが、二人体制になって、本当の意味でビジュアルの専門家という実態が伴ってきた感じです。
「飾らないこと、本質を見極めること」。自然暮らしが鍛えた感覚。
橋本
こういう自然豊かな環境に引っ越したことで、心境の変化はありましたか?
直江氏
これまで都会育ちで、こんな環境で暮らすのは初めてですが、ここにいると本当に四季の変化をダイレクトに感じるんです。春先なんてわずか2週間で、咲く花も、草の色も、鳥の声も変わります。こんなに自然って動いているんだ、って日々感動しながら暮らせるので、一言でいうと世界観が深まった気がします。竹藪の整備も畑仕事も草刈りも、大変なように見えて、実はそんな労働をしてる時が一番心癒されますね。

橋本
写真への向き合い方にも変化が起きたりするんでしょうか?
直江氏
言葉にするのは難しいですが、冒頭でお話しした沖縄での仕事でも、自然に対する向き合い方が以前とは変わったかなと感じました。同じように山を見ても、きれいだと思ってシャッターを押す瞬間が変わってきたというか。写真って、その撮影者が被写体に対して何を感じているかが映り込んでしまうものなので、その人に見えていないものは撮れないんですよね。
橋本
奥様はいかがですか?ご自身のデザインに変化を感じたりしますか?

知美夫人
ここにいると全てがあるがままで美しいので、自分のデザインもゴテゴテ飾るのではなくシンプリファイされてきたかもしれません。
納
私はデザインの過程でどうしても付け足してしまいがちで、先輩に「削ぎ落としなさい」と言われることが多いんです。ですからお二人のお話は、クリエイティブの本質に近づいている感じがしてすごく印象的です。
直江氏
何が必要で、何が不要かという本質を見極めて「これでいい」と言える感覚はとても重要で、それは自然に近い暮らしの中で養われるものの一つかもしれませんね。
橋本
直江さんの深層にスポットを当てることで、思った以上に興味深いエピソードやお考えに触れることができて非常に楽しいですね! 後篇では、自然とテクノロジーが共存する未来についてや、里山が抱える地域課題にクリエイターとしてどう向き合うかについても伺いたいと思いますので、どうぞよろしくお願いします。
■後篇につづく