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2026/07/24
「詳しいペルソナ」ほど、いいペルソナなんだろうか|いのうえの思考 #05
ブログ

先日、たまたまある販促コンペのオリエンシートを眺めていたんですね。そこに、ある商品のターゲットとして、それはもう詳細にペルソナが書かれていました。「Z世代の男性ビジネスパーソン」という設定で、年齢から年収、休日の過ごし方、情報の集め方まで、びっしりと。
それを読んでいて、正直に言うと、ちょっと気持ち悪くなったんです(笑)。
別にそのオリエンシートを作った人を責めたいわけじゃありません。ペルソナを設定する以上、ある程度は仕方ない面もある。でも、画面を見た瞬間に、理屈より先に身体が「いや、そんな人ばっかちゃうやろ」と突っ込んでいました。Z世代の男性って、本当にこんなに一枚岩なんだろうか。世間がなんとなく作り上げたイメージ像が、いつのまにか「その世代の正解」みたいな顔をして語られている。そこに、どうしても違和感が残ったんですよね。
今日はこの「気持ち悪さ」を入り口に、僕らも仕事で日常的に使っている「ペルソナ」という道具との付き合い方を、ちょっと考えてみたいと思います。
Contents
そもそもペルソナって、何のための道具だっけ
ここで一回、立ち止まって考えたいことがあります。
それは、「ペルソナって、精緻に作り込むほどいい道具なんだろうか?」という問いです。
僕らはなんとなく、「ペルソナは細かく設定するほど解像度が上がって、いいものだ」と思い込んでいる節があります。出身地はどこで、どんな家庭で育って、休日は何をして、どのSNSを見ていて……と、詳しければ詳しいほど仕事をした気になる。でも、本当にそうでしょうか。
気になって、ペルソナという手法の出自を少し調べてみたんです。そうしたら、なかなか面白いことが分かりました。
ペルソナ(persona)という言葉は、もともとラテン語で「仮面」を意味します。それを「手法」として世に広めたのは、アラン・クーパーというソフトウェアデザイナーで、1998年の著書の中ででした。彼がペルソナを考えた動機が、僕にはすごく示唆的だったんです。
当時、ソフトウェアは作り手であるエンジニアが、技術の都合や自分たちの感覚で設計してしまい、使う人のことが置き去りになっていた。その「作り手の独りよがり」を正すために、「具体的な一人のユーザー」を頭に描こう、というのがペルソナの出発点でした。
つまりペルソナは、もともと「思い込みを防ぐ」ための発明だったんですね。
ところが、僕が今日見たオリエンシートでは、ペルソナが「思い込みを塗り固める」ために使われていた。作り手の頭の中にある「Z世代ってこういうやつでしょ」という決めつけを、詳細な設定という体裁でコーティングして、もっともらしく一人歩きさせていた。
道具が、本来の目的と真逆に作用していたわけです。気持ち悪さの正体は、たぶんここにありました。
ペルソナには、正反対の2つの使い方がある
整理すると、ペルソナの使い方には、ベクトルが真逆の2つがあると思っています。
1つ目は、「答え」として使う方法。
「このターゲットはこういう人間で、こう考えて、こう買うはずだ」と、決めつけを精緻に固めていく使い方です。詳しく書けば書くほど”正解”に近づいた気がする。でも実際には、作り手の偏見やステレオタイプを、解像度の高さで上書きしているだけだったりする。
そしてこれの一番怖いところは、そこで思考が止まってしまうことなんです。「答え」が出たと思った瞬間、人はもう問わなくなる。
2つ目は、「問い」を共有するために使う方法。
「なぜ僕らは、この人物像を想定したんだろう?」という理由のほうを、チームで共有するための使い方です。ペルソナそのものが結論なのではなく、ペルソナを起点にして「では、この人にとって本当に価値があるものは何か」を全員で考え続けるための、いわば”目線を揃える装置”として使う。
同じ「ペルソナ」という言葉なのに、一方は思考を止めるために、もう一方は思考を動かすために使われている。クーパーが本来やりたかったのは、明らかに後者のほうですよね。
だから僕は、ペルソナを「目線を揃える道具」として使いたい
エンビジョンでブランディングの仕事をするとき、僕らももちろんペルソナを使います。でも、細かい設定を競い合うことには、あまり意味を感じていません。出身地がどこで、その土地柄がどうこう、という話を延々と詰めても、正直、埒が明かないことが多い。
大事なのは、「なぜこのペルソナなのか」という理由を、チームやクライアントと共有できているかだと思っています。
ひとつ、印象に残っている場面があります。あるクライアントとペルソナを討議していたとき、相手が「この人の出身地はここで、土地柄的にこういう立地で、だからこういう生活で……」と、設定の細部にどんどん入り込んでいったことがありました。それ自体は熱心さの表れなんですが、聞いていて「これは埒が明かへんな」と感じたんです。細部を積み上げるほど、議論が小さく、固くなっていく。
そこで僕らは、設定をさらに詰めるのではなく、問いを立て直しました。「そもそも、この人にとって何が本当に価値になるんだろう?」と。すると、止まっていた討議がすっと前に進んだ。
もしあのとき、細かく作り込まれたペルソナだけを握りしめていたら、プロジェクトのアウトプットは、最初から狭い箱の中に閉じ込められていたはずです。ペルソナの扱い方を間違えると、自分たちの可能性を、自分たちの手で狭めてしまう。これは、けっこう怖いことだなと思っています。
いちばん怖いのは、「分かったつもり」になること
念のため言っておくと、これはZ世代に限った話ではありません。「Z世代」を「団塊世代」に変えても、「子育て中の主婦」に変えても、「地方の中小企業の社長」に変えても、構造はまったく同じです。
人を何かの属性でくくった瞬間に、僕らはその中にいる一人ひとりの、本当はバラバラな顔を見なくなる。そして「この層はこういうもの」という仮面を、勝手にかぶせてしまう。ペルソナの語源が「仮面」だというのは、なんだか皮肉が効いているなと思います。
僕らの仕事は、世の中が「そういうもの」と思い込んでいることを、もう一度疑ってみるところから始まります。だとしたら、ペルソナという道具こそ、いちばん疑ってかからないといけない相手なのかもしれません。詳しく書けたから分かった、ではなく、なぜそう描いたのかを問い続ける。道具に使われるのではなく、道具を使う側でいる。
あなたの会社で使っているペルソナは、いま、思考を止めるために使われているでしょうか。それとも、思考を動かすために使われているでしょうか。
その違いは、設定の細かさには、たぶん書かれていません。
ライター紹介

井上大輔
エンビジョン代表取締役
2017年、前身となるクリエイティブプロダクションの代表取締役就任、翌年MBOし独立。クリエイティブが担う領域でポジティブな未来を実現させるべくenvisionのパーパス、ナラティブをリードする。envisionと同様のパーパスを掲げる企業・個人が増えることで、社会が、日本が前進すると考えている。