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2026/09/18
僕は、それを営業と呼んだことがない|いのうえの思考 #09
ブログ

こんにちは、井上です。
クリエイティブの現場で、ときどき聞く言葉があります。「そういう営業っぽいことは、したくないんですよね」。外に出て人と会う、自分から声をかける、こちらから提案する。そういう活動を「営業」と呼んで、自分の仕事から切り離す言い方です。
先に言っておくと、僕も営業は嫌いです。苦手でもあります。
でも僕は、たぶん社内の誰よりも外に出て、人と会って喋っています。矛盾してるでしょう? 今日はこのねじれの正体を、自分の中にダイブして確かめてみようと思います。
僕の「外向き活動」の中身
僕がやっていることを、ありのままに書きます。
面白そうな人がいると聞けば会いに行くし、呼ばれた場にはできるだけ顔を出します。そして会って、喋る。相手の会社のこと、困りごと、やってみたいこと。聞きながら、僕はずっとあるものを探しています。僕が面白いと思えることと、相手が良いと思うことの、合致点です。
やりたいことや、実現したら面白いだろうなと思うことが、僕の中には常にいくつもあります。でも面白いことは、一人では実現できないんですよ。お金が要る、場が要る、相手が要る。だから人と喋りながら交点を探して、見つかった気がしたら、こう言うんです。
「こんな感じっすかね?」
これだけです(笑)。ちゃんとハマれば、企画書なんてなくても「それいいっすね」と返ってきます。逆に、企画書を持って行った日でも、ハマっているときはほぼ開きません。紙が仕事をしているんじゃないんです。あの場で見られているのはこちらの心で、試されているのは、相手の心に刺さっているかどうか。それだけの勝負です。
ちなみにこの勝負、積み重ねていくと究極の形に行き着きます。信頼関係が深まった相手から、こう言われるんです。「もう井上さんに任せるから、好きにしといて」。提案すら、要らなくなる。売り込みの対極にあるこの状態こそ、あの活動が「営業」ではない何よりの証拠だと思うんですよね。売り込んだ相手には、任せてもらえませんから。
で、この活動を「営業」と呼ぶ人がいる。呼んだうえで、「したくない」と切り離す人がいる。ここで今日の問いを置きます。
「営業っぽいことはしたくない」の正体は、本当に行動の好き嫌いなんだろうか。
水抜き剤は、売らなかった
考えるヒントは、学生時代のバイトにありました。
僕はガソリンスタンドで働いていたんです。ベースの時給はありましたが、バイトなのに歩合っぽい仕組みがあって、頑張れば時給が上がる。だから僕は、給油に来たお客さんに洗車をおすすめしていました。汚れてるクルマはきれいになったほうがいいし、薦めれば時給も上がる。何の抵抗もありませんでした。
ところが梅雨の時期になると、お店が「水抜き剤を重点的に売るぞ」と言い出すんです。水抜き剤というのは、ガソリンタンクの中にたまった水分を取り除いてくれる、という触れ込みの添加剤です。湿気の多い梅雨は、売り時とされていました。
僕、けっこうクルマが好きなんですよ。だから知ってるんです。あれ、ほとんどのクルマには意味がないって。で、どうしたかというと、一切営業をかけませんでした。売れば時給が上がるのに、です。
洗車は薦める。水抜き剤は売らない。同じ「お客さんに商品を薦める」という行動なのに、僕の中では完全に別物でした。分けていたのは、会社の方針でもインセンティブでもなくて、自分が良いと思っているかどうか。ただそれだけです。20年以上経った今も、この線は僕の中で一本も動いていません。
つまり僕が嫌いな営業とは、「自分が良いと思っていないものを、売ること」なんです。それなら誰だって嫌に決まっています。僕だって嫌です。でも、自分が心から良いと思っているものを、それを必要としていそうな人に薦めること。面白いと信じていることを、一緒に実現できそうな人に「こんな感じっすかね?」と差し出すこと。これは営業ではなくて、少なくとも僕の中では、まったく別の何かです。
「営業したくない」の、水面下にあるもの
そうすると、冒頭の言葉の見え方が変わってきます。
「営業っぽいことはしたくない」と言うクリエイターは、行動が嫌なんじゃないのかもしれない。だって、自分が心底良いと思っている作品を「見てください」と差し出すことが苦痛な作り手は、本当はいないはずだからです。
だとすると、考えられる可能性は2つです。
1つ目は、自分の売り物や作り物を、心のどこかで「意味がない」と思っている可能性。水抜き剤を売らされていると感じているなら、外に出たくないのは当然です。でもそれは営業の問題ではなくて、自分の仕事への信頼の問題です。
2つ目は、価値を考え抜くための知識や知見が足りなくて、思考が浅いところで止まっている可能性。自分たちの仕事が相手のビジネスや社会に何をもたらすのか。そこを考え抜いた経験がないと、自分の仕事の価値を「良いと思う」ところまで掘り下げられません。信じられないものは、薦められない。だから「営業はしたくない」という言葉になって出てくる。
どちらにしても、行き着く先は同じです。「営業っぽいことはしたくない」は、行動の好き嫌いの話に見えて、実は「自分の仕事の価値を、自分で信じられているか」の告白なんじゃないか。僕にはそう思えるんです。
そこが、一番おもしろいところなのに
もうひとつ、クリエイターの仕事という観点から書いておきたいことがあります。
さっき書いたとおり、僕の外向き活動の核心は「合致点探し」です。相手の文脈を聞き取って、自分の面白いとの交点を見つけて、企画の形にして差し出す。これ、行動として分解すれば、企画そのものなんですよね。クリエイションは机の上で始まるんじゃなくて、あの雑談の中で始まっている。しかも企画書の出来ではなく、心と心で決まる。クリエイターにとって、こんなにおもしろい局面はないと僕は思っています。
だから、ここを「営業だから」と手放してしまう人を見ると、残念な気持ちになるんです。合致点探しを誰かに任せるということは、仕事が「決まった形」になってから届くということです。誰かが見つけた案件、誰かが握った要件。その枠の中で手を動かす仕事を、僕はオペレーションと呼んでいます。オペレーターは尊いプロの仕事です。決まった仕様を高い品質で形にする力がなければ、どんな企画も世に出ません。
ただ、それはクリエイターとは別の仕事です。一番おもしろいところを自分から手放しておいて、クリエイターやデザイナーを名乗り続けるのは、名乗りと中身がズレてしまっている。厳しい言い方ですが、それならオペレーターとしての道を極めたほうが、よほど誠実だし、強いと思うんです。
自分の哲学に、聞いてみる
まとめます。
ある行動を「営業」と見るか、「クリエイションの始まり」と見るか。その分かれ目は、行動の側にはありません。自分が良いと思っているかどうかという、自分の哲学の側にあります。良いと信じていれば、薦めることは自然な行為になる。信じていなければ、どんな肩書きの仕事でも水抜き剤売りになる。
ちなみにこの「呼び方で仕事の中身が変わる」という話、3人のレンガ職人の寓話に似ていますよね。「何をしているんですか」と聞かれて、1人目は「レンガを積んでいる」と答え、2人目は「壁を作っている」と答え、3人目は「歴史に残る大聖堂を建てている」と答える、あの話です。
実は現代の経営学は、あれを寓話ではなく実証研究にしています。ジョブ・クラフティングという理論です。提唱者のエイミー・レズネスキーらがアメリカの病院の清掃員を調査したところ、自分の仕事を「掃除」と捉える人たちと、「患者の回復を支えるケアの一部」と捉える人たちがいた。後者は職務記述書が同じまま、患者や家族への細やかな気づかいまで自然にやっていて、仕事への充実感もまるで違ったそうです。
仕事の意味は、職務記述書ではなく本人の認知が決める。彼らはそれを「認知クラフティング」と呼びました。「営業」と呼ぶか、「クリエイションの始まり」と呼ぶか。あのラベルの貼り替えも、まったく同じ構造だと思うんです。
もしあなたが「営業っぽいことはしたくない」と感じているなら、その気持ちを否定はしません。僕も売りつける営業は嫌いです。ただ、一度だけ自分に聞いてみてほしいんです。
嫌なのは、外に出て人と喋ることですか。それとも、自分の仕事を「良い」と言い切れないことですか。前者なら、たぶんそれは思い込みです。後者なら、直すべきは行動ではなくて、自分の仕事の価値を考え抜く深さのほうです。
僕は今日もどこかで、「こんな感じっすかね?」と言っています。あれを営業と呼ぶ人がいてもいい。でも僕は、それを営業と呼んだことがない。強いて呼ぶなら、クリエイションの、一番おいしいところです。
ライター紹介

井上大輔
エンビジョン代表取締役
2017年、前身となるクリエイティブプロダクションの代表取締役就任、翌年MBOし独立。クリエイティブが担う領域でポジティブな未来を実現させるべくenvisionのパーパス、ナラティブをリードする。envisionと同様のパーパスを掲げる企業・個人が増えることで、社会が、日本が前進すると考えている。